| 平和を考える |
厳しい暑さが続いていますね。
63年前の今日。
この暑さの中、疲弊しきった人々とこの国は大きな転機を迎えました。
終戦。
先日、私を育ててくれた今は亡き祖父母のお墓参りと育った家へ訪れ
ました。
祖父は生きていれば92歳。
シナ事変と、大東亜戦争に(その呼称には賛否両論がありますが私は
敢えて祖父が2つの戦争をそう呼んでいたので。)出兵した祖父に、
寝物語のように戦時下の話を聞いて育った私は、いつまでも風化させる
ことなく、この恐ろしい現実を代わって伝えていかなければならないと強く
感じています。
↑ちょっと、演出がクサイのですが^^;我が家で遺影がわりに大切に飾っているもの。
今年の夏は、地域の「平和展」というイベントにも参加させていただきました。
きっと、祖父母が喜んでくれていたに違いありません。見守ってくれていた
からか、たくさんの方々との、貴重な交流を持つことができました。
この貴重な出会いや頂いた資料やお話は、本当に今夏の宝物になりました。
私の育った家は、もう誰も住んではいませんが、私のルーツでもある場所。
祖父の戦時中の貴重な写真や、遺品を片付けながら、こみあげる懐かしさと、
母を幼くして亡くした私たちを、大事に育ててくれたことが、ありありと手に取り
読むとわかる日記など出てきて、涙が止まりませんでした。
もうちょっと生きていて欲しかった、大好きな祖父母。わがままと心配ばかり
かけたままで、気がかりだったに違いありません。。。ごめんね…。
私が成人になったとき、祖父に贈ったパネルが出てきました。
大事にとっておいてくれたよう。
それは、須永博士さんの作品で、
おじいちゃん つらいことありましたか くやしいことありましたか
たのしいことありましたか おじいちゃん どんな人生をいきてきたのですか
これからもがんばってください からだをたいせつにしてください
というメッセージパネル。半分照れもあって、ぶっきらぼうに渡したんだっけ。
20年も経つのに、昨日買ったかのような状態でとっておいてくれていました。
祖父は、歌が大好きでした。軍歌もよく歌っていて私も知らず知らず覚えてしまいました。
時代劇と「TV:野生の王国」が大好きだった祖父。その影響で当時、私は老けた
小学生でした^^;
そんな、祖父の書いた遺品が見つかりました。

ウェブで調べたりしてみたのですが、この軍隊生活「あほだら経」と名前がつく
軍歌は見当たらなかったのですが…。
興味深いことがわかりました。
参考:阿呆陀羅経(あほだらきょう)
宝暦(1751〜64)以後、大坂に起こり、のち江戸にも伝わった俗謡。
乞食坊主が小さな二個の木魚を叩いたり、扇子(せんす)で拍子を取ったり
しながら、世上の事件などに取材して作った八八調の文句を「仏説あほだら経」
という唄い出しで唄ったもの。
きっと、祖父たちが戦時中、八八調の文句で歌っていたものなのでしょうが、
誰が作ったものなのか、どんな節回し(?)なのか、メロディーなのか…。
それに、彼女のところに赤いルビがふってある。
スーチャンて???祖母の名前は「うらこ」(これもかなり変わった名前ではあるけれど^^;)
うーちゃんならまだしも。。。 謎は深まるばかり…。
いずれにしろ内容は、祖父たちの置かれていた当時の厳しい状況が,,,,,,,
あぁ、もっと祖父母には生きていて欲しかった。。。今さらながら教えて欲しいこと
伝えて欲しいこと、聞きそびれたことばかり。
親孝行、したいときに親はなし… 本当ですね… 悔やまれてなりません。
↑前列一番右が祖父。
戦争は人の気を狂わせる…と、その狂気の沙汰を語っていた祖父。
筆舌には尽くせません…。
本当は争いなんか大嫌いな、強く、優しい、寡黙な祖父でした。
亡くした友人たちを、ずっと悼んでいました。
復員してから、突然押し付けられた国民主権に、戸惑い、迷いながらも
価値観を見失うことなく、一心不乱に復興を遂げました。
祖父たちの願っていた恒久平和の通念は、どんなに時代が風化しようとも、
どんなに暮らしが多様化しようとも、揺らぐことはありません。
世界の平和なくして、命を尊ばずして、地球環境の安寧はないのだから。
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| ネパール「シェルパ族」の方との交流 |
友人からメールが来ました。
「ブログ長いっ!!!!!!!!!!!!!!」^^;
読んでるけどねって(あはは)。
ってかね、もっとねぷぷっなのは「わり!途中で挫折した」,,,,,,,,,,はい、、、おもろくねーってことです。^^;
よく最近、そんな声を聞くのでなるべく簡潔にね、わかりやすくね。。。これ課題(笑)
えー昨日は「ネパールはシェルパ族」の学校の先生との国際交流会がありました。
みなさん、シェルパってあのヒマラヤや
エベレストを登るときの
山岳案内人だと思っていませんか?
本当は、チベットからやってきたエベレスト南麓に住む、ネパールの少数民族の名前。
へー!!??職業の名かと思っていました。
昨日、来日した「ヌルブ・ラマ」先生は相当な高地に住むお方で、ネパールでは6,000m
を超えないと山とは言わないとおっしゃっていました。 それもふつーに。
ほう、、、富士登山なんて言わないわけですよ、ネパールの方々からしたら、ちゃんちゃら。
そもそも日本一の富士山(3,776m)はもうフツーに富士?ってかんじなのですね。
今日、富士歩き行く?あっ行く行く!みたいな。
ひゃー、もう日本人の(というか私ですが、心的体的、頭脳もですね)完全に退化していると
実感しました。
ラマ先生、帰国したら空港から2日は歩いて自宅まで帰るんだそうです。ぇ゛?
(道路整備されていないため、、、)
その上、60もの民族が住むと言われているネパールでは、公用語はネパール語、本国には
仕事がないので、必然的にインドやパキスタン、イラク、韓国に(以前は日本なども)出稼ぎに
行くため、ほとんどの国民が必要に応じた外国語を一生懸命生きるために学ぶのだと。
民族の言葉とネパール語、英語、日本語、韓国語と…それはそれは勤勉だそう。
ただ、それも数割で。首都カトマンズでは8割くらいの子どもが学校に通っているそうだが、
(そうは言っても8割。)山村の方では学校に通える
子どもは6割にも満たないそう、、、。
インフラ整備もされていない、貧しい国なので子どもたちは親の手伝いで日がな明け暮れるのだ。 教育より今朝の朝食で。
2日くらい食べない日もあるという…。(…言葉が出なかった。)
またチベット問題も言及していたけれど、
ネパールにも影響は出ているようで、色々な制限が出て来ているそう…
先生は淡々とお話していたけれど。。。 (私はまたもやこの手の話になるとですが^^;ムカムカしてしまいました。)
シェルパ族の祖先はチベット族、胸が痛いだろう…。
なぜ、色々な立場の人たちを認め合って暮らせないのか。せっかく言葉を持った人間なのに。
先生もおっしゃってたけれど、なんかわかる気がするけど、物が何もないからこそ、子どもたちの 好奇心は旺盛で、何を見せても驚いて、目をキラキラさせて学びたがるそうだ。
10年続いた内戦で国は疲弊し、いくつもの学校が壊された。
木陰で地べたでそれでも学びたくて、水汲み、妹、弟の世話、家畜の世話、、、
少ない時間をやりくりして勉強している。
長男は帰ってきて地図を広げていた、「ネパールここかー。。。」なんて言って。
今日からお手伝いとか進んでやってくれちゃうのかな?(わくわく、しめしめ)なんて思ってたら
別段変わったこともなく、、、
まっ、いいけどぉー!!!!!!!
日本人って豊かで何でもあって進んでる気がしてるけど、実はすごく大切なものを失ってる。
本来人間の持つ力は実はとても退化してる。
さーみんな、富士歩き行こ!
P.S,,,,,,,,,,,,,やっぱり今日も長い??(笑)
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| 世界の笑顔のために |
タンザニアの子どもたちとの直接的交流は残念ながら持てなかったが、交流センターの方々
JICA協力隊の方からも物品支援に大変喜んで頂けた。
文房具はタンザニアの学校児童に知的教育に。ぬいぐるみはアフリカには1200万人いると
言われているAIDS孤児たちへの情操教育に使われるそうだ。
タンザニアのお話をパネルトークで見せていただいたり、アフリカの伝統料理『サモサ』を食べたり、 ゲームをしたりで楽しんだ。
当のタンザニアの子どもたちは、遠くの地で自分たちのためのそんなイベントが行なわれている
とは露も知らないだろう。
地域のママたちに募った支援の物品は膨大な量になり、、、正直キャパを超えてしまったらしい
のだが、明日物品整理のお手伝いに行き送料が相当なものになるのであれば、私がワゴン車で
芝浦の倉庫に運ぼうと思う。
ピンチはチャンスでこういったことを何かしらスムーズに、現地の子どもたちと直接的交流が持て
るような(やはり全ては現実的にお金だ)こういった国際貢献をイベント企画などにして、何かしら
収益を得るような方向にしていきたいと、また企業の方にもビジネスとして参入していただけるよう (収益を得ることで、直接的交流の実現が図れる)
な何かないものかと、ない知恵を絞って今後も継続して活動していきたい。
友人、地域のママたちは口々に、子どもたちがいかに普段贅沢をしている、いやさせているのかと
気付いたと…。
また、てっきり、、、奉仕の精神でも学んだ、とかついうっかりそんな気分になってしまうものだが
誰ひとりそんなことは口にしなかったし、思いもしなかったようだ。
本当にすばらしい!愛すべき仲間たちだ。
この活動を通して、やはりmottainaiの精神に少し近づけ、何より自分の出したごみ(正確には物品) の行方がすごく気になったし、大事に使われていたらうれしいと思ったと。
その逆に自分の出したごみが他の地域の誰かを泣かせているとしたら、どんなに悲しいことか。
うん、、、そう言えば、何かと話は似ているね。
核のごみや廃プラや当然、生ごみも…。
自分の手元を離れたらごみとして、その後は知らない、、、とあまりに無関心すぎた今まで。
だからこそ、大切にする、長く使う、あまり買わない。
子どもたちにとって、あれだけの購買意欲をかきたてる宣伝に打ち勝つには酷とも言えるが…^^;
その日の様子は当サイトのサイドエリアにリンクしてる『永山エコクラブ〜naga-eco〜』で報告記事 挙げてます。よろしかったらどうぞ。。。
受け付け始まりました↓よろしかったらご協力を↓
「世界の笑顔のために」市民参加プログラム

Love to me...が胸をうつ。

これは日本から送られたなわとびで遊ぶ姿を描いたもの。

見よ。。。この笑顔。いつか逢いにいきたいな。。。
タンザニアは首都ダル・エス・サラームは近代化しているけれど、映画「ダーウィンの悪夢」でも
舞台になった、イギリスに翻弄されナイルパーチ漁獲で混乱するヴィクトリア湖や、アフリカ大陸 最高峰キリマンジャロ、世界遺産であり奴隷貿易、象牙貿易の拠点だったザンジバル島(アラベスク の歌にもあり、私も好きな)も東の海に湛え、広大なサバンナ、とうもろこし畑と自然に恵まれ ながらも、格差や苦難を今なお抱えている。
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